欧州の名家「ホーエンツォレルン」その2
1510年に当主アルブレヒトがポーランド王の後押しを受けドイツ騎士団の総長に選出されたことでプロイセンとのつながりができ、25年に彼は初代プロイセン公となりました。
1701年、フリードリヒ3世のときに王国への昇格を皇帝から認められ、プロイセン王国の誕生をみる。その後フリードリヒ・ヴィルヘルム1世、フリードリヒ2世(大王)と傑出した王がつづいたことにより、プロイセンはたちまちヨーロッパ列強の一角を占めるまでに成長を遂げるのだった。
300あまりの領邦国家に分かれていたドイツはナポレオン戦争後、急速に統一へと向かう。
統一の形式としては全ドイッ人を含んだ国家をめざす大ドイツ主義と、マジャール人やスラブ系民族をも抱え込むオーストリアの排除はやむなしとする小ドイツ主義の二つがあったが、1866年の普懊戦争でプロイセンが圧勝したことによりプロイセン主導の大ドイツ主義が趨勢となる。